1月 建築はスパゲッティ

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一学年下が卒業制作に励んでいる様子をSNSで見ることが増えてきました。

去年、有難いことに自分の卒業制作を学外の展覧会に出す機会があったのだけど、そこで感じた違和感、というかいま思えば将来のこれでいいのか?みたいな不安?が消化されずにモヤモヤと残っていました。ゆっくり考える時間をとって、やっと言語化できるようになってきたので、忘れないように書き残しておこうと思います。

他の学校の卒業制作を見て、聞いて、たくさん時間と労力を投資した力作が多くてはじめは楽しかったのです。一方で、だんだん違和感を感じ始めました。

敷地の観察をして、機会領域を見つけて、方針を立てて、スタディして、設計決めて、図面を描き、パースを描き、模型をつくる。

ざっくりとしてますが、多くの卒業制作はこの流れで完成され(もちろん全員じゃない)、審査員の方々に向かって、熱意をもって自分の作品を発表し、議論し、もらえる人は賞を受けると思います。展覧会でみた作品の多くから、この過程に熱量をもって取り組まれたことが伝わってきました。東京都内の同じ学年だけで、そんなふうに力作を制作してきた学生が40人はいたような気がします、少なくともその展覧会では。ひ〜多い〜、と思った。東大の建築学科は60人前後いたけれど、全員が設計を専門にするわけではないし、卒業制作に熱を入れる人もみんなそういうテンションではなかったので、私は、この展覧会では結構圧倒された。

ということは、そうやって建築に携わる方の数は、働き始めたら日本中にもっともっといるということ?私も、その中の一人になるの?建築は続けたいけど、私、それでいいの?この、あるあるなやり方で、ずっとやっていくの?

たくさんの人が似たような流れで建築を設計していると、提案を見ても、「あ〜そうなるよね」って思うことが多かった。外モジュール中インテグラルというか、もちろん面白いと思う提案もあるけれど、それは流れの中身が面白いだけで、大抵はこのあるあるなやり方から抜け出せていない。だから流れも予想できちゃう。もはやその流れ自体が使われすぎて、個人的には面白みがはじめから半減してる、と思ったのです。(自戒)

建築は、複雑系です。スパゲッティモンスターみたいなものだと思っています。変化が多く予測できない世の中だからこそ、今までの定番の観点でスパゲッティを捉えて設計を続けていくことに違和感を感じてしまいました。

学部時代、それまでは定番の論理と分析で設計を続けてきました。そういう意味で結構真面目で、だから評価もそれなりにありました。でもそのやり方で設計している人が周りにあまりに多いのを実感して、あまのじゃくな自分の性格もあり、ずっと続けたくないな、と”普通”の設計から一旦離れたくなってしまいました。

建築はスパゲッティだから、完全なコントロールは難しいし、人によって評価が違うのは、当然。それを受け入れて、そのスパゲッティを1つだけじゃなくて、色々な観点から捉えて設計したい。変化の激しいいまの世の中、新しい論理と分析を使って新しいスペクトラムを構築したい。

そう思ったから私にとって、日本を離れスイスに留学して、デジファブに触れたことはとても大きなヒントになりました。

人のことを、ある意味気にしないで、自分らしく建築に向き合えている気がします。ストレスがなくて、毎日すごく楽しい!

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