10月 宗教と建築

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10月の半ば、ETH(スイス連邦工科大学チューリッヒ校の略称)の建築学部名物授業、セミナーウィークでイスラエルに1週間ほどいってきました。

イスラエルの空港
どきどき初中東
ビザはその場で発行してもらいました(レシートみたいにペラッペラで捨てかけた)

このセミナーウィークは、1週間国内および国外で建築学部の教授と一緒に過ごし、それぞれのセミナーのテーマを深掘りするというなんとも豪華な授業、、、これで単位がもらえるとは〜素敵〜

折角なので行ったことのない場所に行きたかったのと、幼稚園から高校までミッションスクールに通っていたこともあり、イスラエルを選びました。

担当のIta Heinze-Greenbergはエルサレムで教鞭を執ったこともある歴史系の教授です。宗教・政治が複雑に絡み合ったイスラエルでフィールドワークをして、その背景と建築の関連性について考えよう、というテーマでした。

ただここで大きな問題がこのセミナー、基本的にドイツ語で行われるということが事前ミーティングで判明(なにも確認せず申し込んだからそうなる)。ドイツ語A1レベル(ともいえないレベルの超初学者)の私にとってこれは大きな課題ですが、好奇心が勝ってしまい、このセミナーに参加することにしました。セミナー前に、ドイツ語猛勉強リスニングばかりしていたら、頭が溶けそうだった。結局理解度は最大でも30%くらいで(そりゃそう)、わからないところは英語に訳してもらって、なんとか議論に食らいつきましたひー。疲れたわっ。

さて、端的にこのセミナーの感想をいうと衝撃的でした。生まれて初めて、宗教にここまでどっぷり浸かった都市に身をおいて過ごし、かなり疲弊してしまいました。理由は、宗教という存在が、①文化的な分断を生じさせている、②物理的な分断を生じさせている、③その状況に改善の余地が見られない、という3つの印象をもたらしたからです。

①文化的な分断が生まれている

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教のメッカであるエルサレムという都市では、宗教毎に街区が分けられ、棲み分けられています。しかしキリスト教教会を眺めているとコーランが聞こえ、そのそばでユダヤ教信者の方々が歩くという、都市的体験としては入り混じった、なんともカオスな空間でした。

宗教によって街区が違う!

これらの宗教は、もともと共通の神を信仰してはいますが、例えば聖なる存在と定義されている人物はそれぞれ異なるなど、発展段階で枝分かれし、その他の多くの点では違う宗教となっています。それぞれの宗教や教派は、今までの歴史もあってか、互いに関わり合うことは無く、ただ共存している印象でした。

ユダヤ教地区の一部は、信者以外立ち入れません。嘆きの壁では、男性と女性でハッキリ分けられていました。女性用は、とても狭い面積しか与えられていません。

女性たちは隣の男性ブースで踊っているユダヤの方々を、ただ見つめていました

人間の高さのあたりまで壁が変色していることから、どれだけの人がどれだけの時間をかけて祈ってきたのかがよく分かります。

そしてユダヤ教の場合、もちろん程度はありますが、髪を剃った既婚者の女性を目にすることがたくさんあります。髪は性的に魅力的だからです。カツラの女性もたくさん見ました。生理中の女性に触れることも、禁じられています。たしかに、みんな女性に無作為に触れないように避けるのが上手かった気が

避妊も良しとされていません。子どもがたくさんいました

また、最新の技術に触れないように、生業はユダヤ教関係に留まらせる方々もいます。土曜日は安息日なので、そもそもイスラエルでは飛行機は飛びません。エレベーターのボタンも押してはダメとする人もいて、安息の凄まじい徹底ぶり。

キリスト教地区の聖墳墓教会は、異なる教派が共同で管理している教会です。共同といっても、教会の部分ごとに、担当している教派は違うし、建てられた年代も様式も違います。パッチワーク状に構成された巨大な教会を歩くと、ひとつながりの建物と思えないほど多様な表情を見ることができます。

②物理的な分断が生まれている

エルサレムにも、パレスチナ系の方が多く住む地区があります。そこにユダヤ系の方が戦略的に住んで、徐々にユダヤ系地区を広げていく様子も見ることができました。建物がパレスチナ系かユダヤ系か、は実は屋上を見れば一目で分かります。パレスチナ系の建物は、例え敷地がエルサレム内であっても、社会基盤はパレスチナ側のものしか使えません。比較的基盤の弱いパレスチナでは黒い貯水タンクが設置され、対してイスラエルの基盤を使用しているものは白い受変電設備が屋上に設置されています。

オセロゲームを見ているみたい。しかし、建物の外見だけで判断できてしまうとは…

パレスチナ難民地区とされている場所へも行くことができました。難民キャンプって、テントなどの一時的な建築がある場所だと思っていたのですが、実際はRC造のビルが立ち並び、一部路地も舗装され、ある程度の社会基盤も整っている。普通のいわゆる「まち」と遜色ない光景が広がっており、難民の定義とはなにか、が分からなくなり混乱しました。議論のテーマにもなり、今回は自分が属している土地にいつか帰れると信じている人々という定義で落ち着きましたが、国籍が実質なく、自分たちの文化と歴史が育まれたホームと呼べる場所に戻れる日がそもそも来るのかも分からない人々にとって、現状は非常に不安定だろうと思いました。自分たちの家族の地元、そこも知らず育った子どもたちを見ると、自分にはなにができるのだろうか、考えては力のなさに落ち込む…

不安定な社会では、パレスチナ地区内にある数少ない重要な建築も、現況下では維持できず、壊されるケースが多いのだそうです。そりゃそうだよね…

イスラエル地区とパレスチナ地区の境界では、大きく高い壁が聳え立っています。壁の上には有刺鉄線が設けられ、なんとも強烈な印象。イスラエルの案内人の知り合いの妻が、住宅を狙った突然の発砲によって亡くなったばかりだという話を聞くと、二つの地区を分断する壁が余計暴力的に見えてきす。Architectural storytellingを体感。

車道も、イスラエル側とパレスチナ側で分かれている

③分断されている状況に改善の余地が見られない

近現代では、他国の介入によってこの問題はどんどん複雑化してきています。さらにそれぞれの地区の歴史的経緯(ここでは割愛)から、攻撃もやや暴力的に機先を制する方法で行われ、私には改善の糸口が絶望的に見えませんでした。

イスラエルでは、男女ともに兵役が18歳から課されています
若い人々が軍服を着て、銃を持って歩いている様子を見るとドキッとする

宗教で、こんなにも多くの人の人生や生き方が左右されるのか。予想以上に、宗教が及ぼす影響は強かったです。分断された状態を否定するつもりは全くないですが…ボトムの個人のレイヤーにまで激しい分断があると、文化・生活レベルの幅広い発展は難しい気がしました。

ご飯はとっても美味しかった!

是非また来たい、次は死海にも行きたい!

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